私はプロの英語講師として、主に中高生を中心に、さまざまな塾・予備校・スクールで、15年以上英語指導をしてまいりました。
はじめまして。Author Ed代表の藤本亮太郎と申します。
これまで、本当にさまざまな目的を持つ生徒さんと出会ってきました。
定期テストで点数を上げたい、受験で志望校に受かりたい、英検を取りたい、親に通塾を勧められて…。
目的意識とその強度は生徒さん・ご家庭にとってさまざまですが、「英語をなんとかしたい」というその気持ちはどの生徒さんにも共通しています。
しかし、彼らにとっての「英語」とは、一体何を指すのでしょうか?
私は英語教育でキャリアを積み重ねる中、この一点に大きな違和感を感じてきました。
そしてこの違和感にこそ、私がAuthor Edを立ち上げた理由があります。
生徒さんからは、こんな相談をよく受けます。
先生、長文が読めません。単語をやるべきですか?
先生、文法が解けません。並べ替えが苦手なんです。
先生、リスニングはどうすればできるようになりますか?
彼らの悩みは全く間違っていません。本気で悩む価値があります。
しかし、この質問そのものに、英語教育の構造的な欠陥が隠れているようにも思います。
生徒さんによっては、英語が100語でも並んでいれば、それは「長文」です。
彼らが「文法」と認識するものは、4択問題を解くための知識になっています。
彼らは「リスニング」に課題があると自覚しながら、自分の口で音を発した経験が十分にありません。中には、そもそも音読という手法を知らない方もいます。
このような現状を見ると、こうして「長文」「文法」「リスニング」と切り分けられた学習区分そのものが、生徒さんにとっての「英語」になってしまっているように感じるのです。
もちろんこれは生徒さんが意識的に、初めからそのように考えているのではありません。
教育の構造上、英語が「ことば」ではなく、最初から「教科」として与えられていることに問題があります。
そして、問題意識は漠然と共有されながらも、多くの教育現場では、知識を教える時間はあっても、ことばとしてトレーニングする時間を十分に確保することが難しいのが現状です。
Author Edは「英語を教える」ためではなく、「英語を身につける」ために生まれました。
4技能が高らかに宣言され、英語教育も過渡期を迎えているように思います。
しかし、私は「4技能」を完璧に区分された、独立したスキルとは考えません。
それぞれの技能区分は結果的に現れたものを便宜的に分け隔てたものにすぎず、トレーニング段階では通底していると考えます。
だから私は、技能ごとに学習を切り分けるのではなく、すべての技能につながる土台そのものを育てたいと考えています。
知識の提示だけでなく、さまざまな形での運用を意識したトレーニングにより、英語力が最終的にどのような技能としても発現するような指導を目指します。
私は、英語を「解く」という行為から解放したいです。
英語は本来、誰かの考えを理解し、自分の考えを伝えるための「ことば」です。
Author Edは、ここを原点に英語教育を考え続けます。
英語を学ぶことが、自らを見つめ直すきっかけ、そして世界とつながる喜びにつながるように。